4月11日、元横綱で格闘家でもある曙太郎さん(54)が心不全により亡くなったことが明らかになりました。
曙さんは2017年にも心不全で意識不明の重体となっており、病気の影響で210㎏あった体重も140㎏まで減少。記憶障害も伴い会話がおぼつかないという状態にまでなっています。
その際、かつてライバルとされていた花田虎上(元・若乃花)がTBS系「今夜解禁!ザ・因縁」という番組の企画で見舞いに訪れ言葉を交わしていました。
曙太郎と元若乃花の因縁とは?
当時、まだお互いが現役だった頃、2人は口をきいているところを見たことがないと言われていて、ライバルというよりは敵という関係性だったようです。
すれ違っても一切口をきくことはなく、トイレまでかち合わないように弟子たちが細心の注意を払っていたとの事でした。同期入門ということもあって、お互いがお互いをかなり意識していたようですね。
もっとも、家族に対しては若乃花への正直な想いを語っていたようで、「若貴がいなかったらここまで成長しなかった」と語っていたとの事です。
曙太郎に対面した時の花田虎上の反応は?
当時、記憶障害で家族のことですら認識が曖昧だった曙さんでしたが、入院していた部屋に花田虎上さんが面会に訪れ姿を見るとすぐに「お疲れ様です」と反応を見せました。
「わかる?」という問いに対しても「わかる」と答え、わからないかと思ったと心配していた花田さんに対して「わからないわけがない」と力強く答えます。手を握りしめ相変わらず大きい手だと語り掛ける花田さんからは優しい雰囲気が出ていました。
曙さんは自身の体調がすぐれない中、花田さんに対し元気ですか?と気遣うような場面もあり、かつて口をきいていなかったとは思えないほど素敵な関係性だということが伺えます。
「巡業でいつも一緒にいたけど、余り話はしなかったけど」と話す花田さんに対し、「冷たいもん」と冗談を交えつつ、お互いに勝負だから、負けたくなかったからと当時を懐かしむように振り返ります。
20代の頃、互いを敵対視するようになった時に、曙さんは休日花田さんを遊びに誘ったことがありましたが、花田さんはその誘いをすっぽかしたことがあったそうです。
自身の行いに対し、花田さんは「行きたかったけど情が入ると戦うのにダメだと思って行かなかった」と説明し、当時の振る舞いは全て相撲のためであり、本意ではなかったということが明らかになります。
当時の取り組み映像を2人で見る姿は親友のようで、曙さんも花田さんを優しい笑顔で見つめていました。「一緒に土俵に上がりましょうよ両国で。この手で何回殴られたか」と言う花田さんに対し、「その前に飲みに行こう」と返した曙さん。それが叶わなかったことが本当に残念でなりません。
曙太郎死去に対する花田虎上のブログ全文
4月11日の11時、曙さんの訃報に対して花田さんがブログで言及していました。
ライバルであり友であり
苦楽を共にした仲間が旅立ちました
現在曙の訃報に際しコメントを求められていますが
あまりのショックにお話できるような状態ではありませんので申し訳ありませんが文章にします
突然のことに送り出す言葉が全く見つかりません
お互い協会から離れて頑張ってきたけど
離れていてもいつも心にいました
切磋琢磨してライバルとして戦ってきた分愛情が深く
言葉では言い表せないものがあります
また会いたい気持ちが強く
歳を取ったらハワイの木の下で同期生皆んなで会おうと曙と話していた
その約束も果たせずただただ寂しいです
ゆっくり待ってて
ハワイの木の下でまた会おうね
会いに行くね
番組の様子でもそうでしたが、かつて本気で戦ったからこその絆のようなものがあるのだと思います。また元気になってお酒を酌み交わしたり、両国の土俵に立ったりした姿を見たかったですね。
曙太郎死去の原因は?
曙さんが亡くなった原因は2017年に起きた心不全が起因しています。あれから7年にもわたる間闘病生活を続けていましたが、努力もむなしくこの度帰らぬ人となってしまいました。
心不全の原因としては様々なものがありますが、肥満もその中の一つとされており、BMIが18~29の人と30以上の人を比較すると2倍以上のリスクがあるという報告もあるほどです。
曙さんが2017年に心不全となったのも、おそらく肥満が原因だったのではないでしょうか。相撲取りという職業柄中々難しい事ではありますが、引退後は無理のない範囲で体重を絞っていくことが大事だったのかもしれません。
おわりに
かつて横綱として角界を大いに盛り上げただけではなく、引退後も格闘技やバラエティで活躍を見せ、多くの日本人に笑顔と元気をくれた曙さん。
今回、54歳という若さで亡くなってしまったのはあまりに早く、本当に残念でなりません。
どうか安らかにお眠りください。心よりお悔やみ申し上げます。
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